左京区に関わる素敵な変人インタビュー

左京区「場て育

スズキ キヨシ

プロフィール
音楽を「おんらく」楽器を「らっき」と位置づけ、つねに「楽しさ」の視点から、オーガニックなサウンドとグルーヴを追求するパーカッショニスト・音楽講師。 1970年代から始めたミュージシャンとしての音楽経験、音楽療法や社会福祉施設での豊富な講師経験から生まれた柔軟な発想で、幼児からお年寄りまで、さまざまな人たちに「音楽の入り口」をわかりやすく伝えている。2011年、神奈川から京都市左京区に移住。2012年から2015年まで京都造形芸術大学(現・京都芸術大学)の講師を務める。2015年よりNPO劇研の地域プログラムディレクターとして、音楽による地域社会の活性化に努めている。

東日本大震災を機に左京区に越してきてから、
左京いきいき市民活動センターのスタッフとして、
盆踊り大会を復活させたり、
「かもがわデルタフェスティバル」を開催したり、
左京の音楽にまつわるイベントを数多く企画してきたスズキキヨシ氏。
どのように音楽イベントをしてこられたのか、
東京ではどんなお仕事
をしておられたのか伺ってみました。

——これまでのお仕事について教えていただけますか?

 打楽器を主とした楽器奏者として、さまざまな音楽のステージ、レコーディング、芝居の生演奏に携わってきました。活動の拠点は、新宿、池袋など。20代でアングラ劇団「発見の会」の芝居に関わり、バンド「渋さ知らズ」や俳優の田口トモロヲなどと繋がった。1980年ごろ、知人が葉山に海の家オアシスを作った。普通の海の家と違って、夕方から夜だけ営業するスタイル。そこを通じて、アーティストとの繋がりが増え、海外のミュージシャンをブッキングする会社とつながり、活動の拠点は青山へ。ワールドミュージックとの繋がりもできた。アフリカから数十人の太鼓のチームが来日すると、彼らは自分の家族だけじゃなく、村というコミュニティごと養わなければいけない。楽器はもちろん服や雑貨を持ち込み、公演の合間に売り、手ぶらで帰る意気込みだった。海外の民族楽器が手に入りにくかった時代、そんな環境にいたのでほしかった楽器を手に入れ、叩き方も教えてもらえた。楽器を持っているだけで仕事が取れる時代。民族楽器でレコーディングに携わった。数年後、音楽療法が浸透し始め、湘南の福祉作業所と関わり、いっしょにバンドを組んだり高齢者施設に行ったり、音楽経験のない人との関わりが増えてきた。打楽器はコミュニケーションも取りやすい。障がいのある人たちの反応は初めての体験だらけ。非常に刺激的で見たことのないものだったし、いっしょにやっていきたいと思った。ワールドミュージックに関わったおかげで「音楽は特別なものではなく環境のなかで当たり前にあるもの」という感覚が自然と身についたんでしょうね。そこから身近な素材や廃材で楽器を作るという需要が生まれ、挑戦してみた。海の家で海岸清掃して拾ったものを、海岸で焚き火をして燃やす。そこで音楽もする。仲間とセッションしながら、いろいろなものを楽器にして、どんな音が出るか試す。おかげで書籍を出せることになった。廃材楽器のワークショップの仕事をもらえるようになり地方への移動が増えた。フジロックフェスティバル、ap bank fes、アースデイなどのファミリーエリアや環境系エリアに関わり、親子向けの楽器づくりや音遊びの体験型のワークショップを提供していた。海の家オアシスのみんなと盆踊り大会も開催しました。

——活動を通してどんなことを伝えてこられましたか?

 なにかを伝えたいというよりも、音を通じて「どんな現象が生まれるのか」というのを見たい。イベントに企画意図はあるけれど、そこに人の「評価」というものがあったら現象を楽しむということはできないよね。一度でも繰り返せば、リズムというものは生まれる。それに合わせないでいるよりは、合わせたほうが楽なんですよね。宇宙の真理だと思います。そのリズムに乗っかる、同調する。そうして、歌ったり踊ったりしていくと、なにが起こるのか。イベントをするときも、自分の視点だけじゃなく、全体に響き合うなにかを考慮しているのかもしれません。子どもにとってこの音はどう聴こえるんだろう? 普段、音楽に触れていない人にとってはこの音楽はどう捉えられるんだろうか?といった具合に、多面的に捉えていたい。ライブハウスなど、音楽が好きな人が集まるところでの楽しさもあるんだけど、「音楽なんか嫌いよ」っていう地域のおばあさんが、それでも盆踊りで踊ってくれる。そういう体験をいっしょにすることに、僕は喜びを感じます。嫌いだけど踊る。ということは、きっとどこかに接点があるということ。その接点である「共通言語」のようなものを見つけるのは楽しいですよね。

——京都に引っ越したきっかけは東日本大震災でしょうか?

 そうです。ap bank fesで知り合った人のご縁から京都芸術大学こども芸術学部と繋がりました。地域の親子との関わりが生まれ、廃材楽器づくりの講師をしたり、親子向けのワークショップをしたりしました。その後、2015年にNPO劇が左京東部いきいき市民活動センター(以下いきセン)の指定管理業者になったとき職員に誘われ、盆踊り大会の経験を活かして「復活! 錦林盆踊り大会」を企画開催。2017年から2019年まで「ようせい夏まつり」を開催しました。「ようせい夏まつり」は17時から3時間のステージがあり、20時から盆踊りをして21時終了だった。ところが、準備も当日も暑くて大変。本番当日は700人ほど来て盛り上がるけれど、とにかく暑過ぎて熱中症で倒れる人も出て救急車を呼ぶこともあった。ステージへの出演希望者も増加し、別の方法を検討しているうちに、コロナが来て2年開催しないで過ごした流れから「かもがわデルタフェスティバル(以下デルフェス)」として秋開催へと移行することに。

——「かもがわデルタフェスティバル」という名称の由来は?

 川の向こうも含めて出町柳から元田中あたりまで、この地域一帯を巻き込むという意味を込めています。実行委員会で決めました。

——デルフェスの実行委員はどんな方ですか?

 養正学区の住民、まちづくり団体の方など20〜70代まで約10名。「多文化共生」をテーマにした文化イベントを通じ、よりよい地域づくりを目指しています。まちづくりサポーターの輪を広げたいと思っていて、今年はオリジナルグッズもつくりました。開催期間は10月1〜16日とし、15日に「多文化まつり」としてステージを13〜19時、盆踊りを19時から開催しました。事前に、盆踊り練習会も開催。今年は京都大学でも、5月、7月、11月に熊野寮で、8月に吉田寮でお祭りが開催され、盆踊り大会をしました。盆踊りをつないでいっているのです。熊野寮では、江州音頭の研究をしておられる京都芸術大学の下村先生の協力を得て、オリジナルの音頭づくりをしたので、そのサポートもしました。まつりの設営も協力して、みんなでカルチャーを作る。この地域は高齢化、少子化問題がある一方で、突出して20代の学生が多い。そのバランスを活かして、まちづくりの一環として、こうしたお祭りを継続していけたらおもしろいかなと思っています。今後は留学生たちにも、こうした役割や居場所を提供して「一緒にやろうよ」ということができると、もっと、おもしろくなるだろうと思います。

——学生寮のまつりと関わることになったきっかけは?

 くまのまつりの実行委員の長谷川くんに依頼されたのがきっかけで、毎年、声をかけてもらっています。僕が関わる別のイベントでも「タテカンみこしワークショップ」などで出てくれて、ライブペインティングで楽しませてくれたりしています。すごく評判もよく多世代交流が生まれます。それが祭りに置き換わると、タテカンでなにか違うものが作れるよねと。大きな作品を作るには、大きな倉庫を借りるなど環境も難しくなってくる。でも熊野寮だと、そういうものも作れる。学生寮があって寮生がいてこそできること。地域の特徴だと思います。地域というものはすべて必然、必須です。劇研がおこなっているのは、文化、芸術アートを通した出会いと交流の場を提供するまちづくり事業。僕も、そういう活動、あるいは支援をしています。盆踊りなどのイベントをしながら、地域のみなさんと一緒に楽しむことを目指してきました。最初は、うまくいかないこともありましたが、実績を重ねるなかで、試行錯誤しながら10年かけて地域の人と関係を築いてきました。西部いきセンの向かいの「左京西部高齢者ふれあいサロン(以下サロン)」でも、アート工作の提供、子ども服の交換会など実施していますので、この場をどう活用するか、いろいろな方に考えて関わってもらえたらと思っています。このサロンも地域の人たちと三方よしの状態を探り、多機能な拠点となるようにと着手しました。ソファー席に普段ならおじいちゃんおばあちゃんが数人いて、テレビを見たりしてくつろいでいるんですよ。

——京都精華大学のサコ先生がおっしゃる中庭文化のようですね

 そう。大きな家族みたいな感じになれたらおもしろいよね。子どもたちにとって、よその大人と話すきっかけになればとも思っています。環境問題、多世代、多文化、アート、それらがごちゃ混ぜに集まり発酵していく。そのための拠点となるステーションをあちこちに作る。財政問題などもあるかと思いますが、こういうところに予算をかけてサステナブルな社会を作っていけるといいですよね。興味のある人みんなに視察に来てもらって、サポーターになってもらえたらうれしいです。さまざまな方と関係性を築くには、熱量がそれぞれ違うと思うけど、それぞれのやり方で関わってもらえたらいいと思っています。

——通常、イベントなどを通して人と関わるときトップダウンになりがちですが、キヨシさんの周囲の方は自主的に動いてますよね?

 主催側の思い通りにはいくわけがないと思っていて、それは障がいを持った子どもたちから学んだことです。椅子をきちんと並べて、全員が座ってイベントが始まる。でも、そこからだんだんステージに近づいてくる子がいる。そのうち、ステージに手をかけていたかと思うと、そこで寝てしまうんだけれど、それは、その場で振動を楽しんでいるのかもしれないよね。背中を向いて聞いている子も、本当に嫌なら出ていくのだろうし、もしかしたら背中で音を聞いているのかもしれない。その子にとって気持ちのいい姿勢が背中を向けて聞くことなのかもしれない。音楽をやってて、そこでなにかが起こっている。打面の半分でドラマチックなことが起きている。そこで自分も叩きながら音が変化していく。これって「現象」であって、こちらが「どうしたい」という話ではない。でも、それが自分にとってもすごくいい経験になったし、貴重なことだと捉えています。

 イベントでも、それぞれ動いている人同士が関わっていく。僕は、基本、同時多発が好きだから、ほどよい距離感を持ちつつ「なにかおもしろいことをしているな」と気づいたら関わる。関わることが得意じゃない人もいるよね。そういう意味では、表現活動しているアーティストは、障がい者や子どもたちと、感覚でどんどん関わろうとするし、感性が豊かですよね。

——くっつきたいときにくっついて、違うと感じたら離れる。

 それが基本だよね。そのほうが絶対、おもしろい。こうした活動は、個人でできることではなく「どれだけ人の手を借りられるか」が課題です。それぞれ「点」でやってきたことが繋がって、束ねていく時期なのかなと思います。「かもがわデルタフェスティバル」は、その集大成という感じです。

 昨年、長谷川君からくまのまつりでの盆踊りの依頼があったとき、なぜかいつもの音頭バンドのメンバーのスケジュールがことごとく合わなかった。ピンチはチャンスということで、新たにいろいろな人をどんどん巻き込んでみようと思った。関わるメンバーを流動的にすればするほど、経験者は増える。それが一堂に集まったときにおもしろいことになる。例えば、熊野寮の秋まつりでは、熊野寮生による音頭バンドがデビューすることになった。さらに音頭取りにも寮生が手を挙げた。そんな新たな展開が生まれました。時間の経過で変化していくのがおもしろいなと思います。継続しているゆえのおもしろさ。例えば、個人のバンドがプロミュージシャンを目指し時間とともにある程度上手になったとしても限界がある。いくらでも凄い人はいるし、「上手になる」という目標はいつか限界が来る。でも、別のベクトルとして「音楽隊シャボン玉ホリデ」のような地域の楽団に関わると、素人の爆発力といったおもしろい体験ができる。地産地消の音楽によって地域を活性化する。そういうのがいいなと最近思います。音楽は、一番いろいろな世代、いろいろな背景の人に響く。

 シャボン玉ホリデーの姿勢がまたいいですよね。都合さえ合えばだれでも出演できる。「こんなやり方があるのか」と参考になっています。プロの演奏家として代表のさん。高校や大学から音楽を続けているセミプロ、そして、始めたばかりの初心者、みんなシャボン玉ホリデーのメンバー。かけ出しの人は、上手な人に乗っかればいいんです(笑)。デルフェスでシャボン玉ホリデーの曲で最初に踊りだしたのが、ステージに一番に出演した和太鼓チーム。彼女たちと事前に打合せをしたら、そのまま宴会になっちゃって(笑)。でも、そこで意気投合したので、当日はすごくリラックス状態で楽しく演奏してくれた。出演者の人たちとは、ほとんど必ず事前に会うようにしています。

——それがキヨシさんがおっしゃる「発酵」のコツでしょうか?

 そう。当日「この前はどうも」という状態で出演するのと、「初めまして」という状態で出演するのとでは、特に出演者にとっては全然違う。年齢も背景もごちゃ混ぜのさまざまな人たちとつながるには、メールではなく直接会わないとだめでしょう。後は、コミュニケーションの取りやすい現場をどう作るかという工夫をしています。やっぱり参加型がいい。僕の中ではストーリーがあって、それをイメージして動いてます。

——寮生たちが音頭バンドをするだろうと想定していましたか?

 そもそも盆踊りは、市民に開かれたもので、地域にそれぞれ音頭取りがいたはず。現代なら音頭バンドなど、時代に合った参加型にできればとは思っていた。

 継続していくことで変化が起こる。それに合わせて、こちらも変化していく。京都では守り続けていこうという事象があるかもしれない。でも、左京はフリースタイルだし、どんどん変わっていい。変化をおもしろがる。そういう価値観がこの地域に育っていくと、子どもたちも含めて「ここではなにをやってもいい」「なにも体裁を考えなくて済む」という開放的な感覚が育っていくと思います。

——キヨシさんが大切だと思うことはどんなことでしょうか? 

 僕は感じること、感覚に訴えることが大事だと思っていて、心が解放されるときに、いろいろな体裁や立場なんかを、すべて捨てられるような環境や空間、「場」を作れたらと。そのためにはやっぱり子どもがいるという状況も大切。大人は行動パターンがなんとなく似ている。でも、子どもって右往左往して不規則だからおもしろい。そういう要素が「場」に必要だと思っています。常に動き回っていたり、いろいろな音が聞こえたりすると、体裁を考えずに自分を出しやすい。そういう環境を、お祭りを作りたい。得意や不得意があって、デコボコでいい。一人でなんでもできる必要はないんだよ。お互いにカバーし合えばいいし、カバーし合える信頼関係を築いていくことが大切。そうすれば、新しい人たちもまた、関わりやすくなりますよね。それぞれが動いたり一堂に集まったり、動きつつも決めない、固定しない、とりまとめない。それが大切だと思います。

2022年のかもがわデルタフェスティバルでの多文化まつりには出演者150人、来場者800人が集まった

音楽隊しゃぼん玉ホリデー

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デルフェスではボランティアでお手伝いをしてくださる方を年間通して募集しています! イベント運営やステージ設営などに興味がある方、盆踊りが大好きな方、告知が得意な方などデルフェスをいっしょに楽しく盛り上げませんか? ミュージシャン、ダンサー、小学生までイロイロな方と交流できて、これまで知らなかった背景の人と繋がれますよ♪

【問い合わせ】
かもがわデルタフェスティバル実行委員会
kamodelfes@gmail.com 075-791-1836(左京西部いきいき市民活動センター)

左京変人図鑑 VOL.3

このインタビュー記事は左京変人図鑑Vol.3に掲載したものを転載しています。

左京区の「場」を発酵して育む変人

左京区に関わる素敵な変人インタビュー
スズキ キヨシ氏

2023年1月 27日発行

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