左京区に関わる素敵な変人インタビュー

世界中のアートを繋いできた変人

金沢21世紀美術館 館長
長谷川 祐子

プロフィール
金沢21世紀美術館館長/東京藝術大学大学院国際芸術創造研究科教授/キュレーター/美術批評。京都大学法学部卒業。東京藝術大学美術研究科修士課程修了。水戸芸術館学芸員、ホイットニー美術館客員キュレーター、世田谷美術館学芸員、金沢21世紀美術館学芸課長及び芸術監督、東京都現代美術館学芸課長及び参事を経て、昨年4月より現職。

世界各国で展覧会を企画してきたキュレーターの長谷川祐子氏。
ウスビ・サコ氏からの紹介でインタビューが実現しました。
金沢21世紀美術館の立ち上げにも携わり、
世界中のアートを
扱いさまざまな国や背景の人々と共に

仕事をしてきた視点からお話を伺いました。

——左京区に暮らしたのは大学入学がきっかけですか?

 はい、京都大学だったので左京が便利だったということもありますが、いろいろな意味で気に入っています。哲学の道の界隈は安心して住める場所ですし、雰囲気があるので好きなエリアです。

——京都大学法学部卒業後、東京藝術大学美術学部に進学しておられますが、なぜでしょうか?

 その答えはいたってシンプルです。親からは法学部じゃないとお金を出さないと言われたのでその通りに進学しました。でも、実際に法学部に行き、ある程度、法律の学問をやってみて、やはり違うと感じたので、働いたり奨学金を得たりして、自分の力で東京藝術大学に進学しました。

——では、もともと美術系に進学したかったということですか?

 私は、そちらに行きたかったんです。絵も描いていました。

——キュレーターという仕事について教えていただけますか?

 キュレーターというのは展覧会を作るということがベースの仕事です。この展覧会というのがプロジェクトであったり、金沢21世紀美術館もそうですが美術館をプロデュースしたり、みんなが集まれる場所をプロデュースしてシンポジウムを作ったり、パブリケーション(出版物)を作ったりと、多岐に渡ります。キュレーターはリサーチャーでありながら、自身の一つの考え方を持って、関係価値を形成していく。そして、その形成された関係価値を、国や背景の異なるいろいろな方たちに、どうすれば共有できるかという一つの方法論を考えていく人だと、考えていただければと思います。ほかにもマップを作る人、ナビゲーター、ファシリテーターなど、いろいろな言い方で表現されます。

——この仕事のやりがいは、どんなところにありますか?

 自分が企画した展覧会の内容は、企画段階では自分にしかわかっていないので、それが実際に姿を現したときに、初めてみなさんに共有できるわけです。そこで、みなさんにいろいろなことを感じ取っていただけたり、学んでいただいたり、発見していただいたりして、いろいろなリアクションが返って来ますよね。その時が、一番やりがいがあると感じますね。「考え方が変わりました」「見方が変わりました」「そのアートについてより詳しく知りたくなりました」 など、なんらかの形で観た人の好奇心や知の入り口を広げるという接点があったということですよね。そうしたナレッジプロダクション(知の創造)が、キュレーターの仕事の一番重要な目的だと思っています。

——観覧した方からはどのようにフィードバックを取っておられますか?

 実際に感想をおっしゃってくださったり、レビューを書いてくださったり、美術展の入場者数からも把握できます。その方がどんなふうに観ていらっしゃるかとか、

見ていてだいたいわかりますね。

——著書を読んで長谷川さんは人間観察力に長けておられると感じますが、人に対する興味は昔からありましたか?

 人間というか、都市や事物、人間を取り巻くものに対してとても関心があります。ただ、社交というのはあまり好きではないので、じっと観察するほうですね。パーティーなどに行くのは苦手ですし、面識のない方とお話しするのは苦手で、感性のやわらかそうな方たちを家に招待して少人数でお話しするのが好きです。

——大きなテーマになってしまいますが、長谷川さんが生きていくうえで、大切にしていらっしゃることはありますか? 

 あまりに大きなテーマなのでお答えするのは難しいですね。だれでもそうだと思うんですが、私は基本的には拘束されることや、だれかに押しつけられることに非常に抵抗がありますので、日々の暮らしにどれだけ心の自由があるのかということが大事です。その自由なものに対して、いろいろなものと交換していくじゃないですか。その交換によって自分がどれだけ相手に与えているのか、相手からどれだけ与えられて変わっていくのか。そういう更新、日々変わっていくメタモルフォーセス(変容)みたいなものが、絶えず自分の中に起こっている感覚で生きている時が一番大事ですね。ずっと変わらないというのは、私の場合はちょっと違うなと思います。

——著書の中でも「変容」という言葉がたくさん出てきますが、やはり、変容と生きることは繋がっているということですよね?

 私たちは生き物ですからね。変わって当然ですよね。最後はみんな死ぬわけですから。変わらないというのは、ちょっとあり得ないと思っています。

——「お変わりありませんか?」という挨拶があるなど、日本人は変わるのが苦手だったり、どこか自由じゃなかったりするように感じます。それはなぜでしょうか。

 やはり単一民族で島に閉じ込められているからです。沖縄や北海道などは、ちょっと異なった人たちだったと思いますし、韓国や大陸からもいろいろな人が移住し、実質は単一ではないんですけれども、基本的には、自分たちが単一民族だと思っているというイリュージョン(錯覚)がありますよね。多様性がないものは滅びます。滅ぶか、もしくは、だんだん弱体化していきます。一つのジャガイモしか作らなくなったとして、そのジャガイモにウィルスが植えつけられたとしたら全滅しますよね。それと一緒です。私はそういうふうに思っています。だから多様性というものが大事で、単一民族であっても、一人ひとりが多様な考えを持つことが許されることによって優れた民族は生き延びられると思います。日本にも優秀な方がいっぱいいらっしゃいますよね。そういう方々がいきいきと他者に対して影響を与えていくような環境を作ることが、非常に大切かと思います。

——そのことと芸術とはやっぱり関係がありますか?

 そうですね。芸術というものは、やはり先の見えない予測できないものなので。だれも芸術のことをちゃんと語ることができません。しかも、多くの人の心を動かすことができる。なぜ感動するかなんて、だれも説明できない。そんな不可思議なものを、ずっと相手にして生きるわけです。こちらが柔らかくないと持ちません。

——著書の中に「国によって背景が違うので誤解も生じるけれどもある程度それを受け入れる」という意味のことが書かれていました。それは細部まで擦り合わせる必要はないという意味でしょうか。それともうまくいくと信じれば大丈夫という意味でしょうか?

 なにか目的があって、一緒に仕事をしていくわけですよね。Aさんが目的を達成できたと感じていて、Bさんが目的を達成できなかったと感じている。それは完全にマッチしなくてもいいと私は思います。できごとは、そういうこととは関係なく前に進んでいく。だから、私たちの意思などはちっぽけなものだと私は思っています。感じ方の違いなど、大したことじゃないんですよ。できごとがなるように導かれているのであって、そこが成るように「正」としてあるのなら、それは起こります。それは、AさんBさんではない、大きな力が誘導してくれると思っています。細かいことおっしゃる方もいらっしゃいますが、私はあんまり気にしません。

——きっとこうなるだろうと人間が結果を想定したところで知れていますし、結果を信じていろいろな方と関わると、逆に想像もしなかったようなところに物事が運ばれていったりしますよね。

 はい。そういうことの連続だと思います。少なくとも自分はぶれないということだと思います。自分がこういう考えだと決めて接して事を起こし始めたわけですから、途中で態度がブレることは相手にも失礼だと思います。やり方は変わっていきますけれど、自分がこういうコアなことをやりたいがために、これをやっているという主軸はぶれてはいけません。

——ぶれずに、かつ、無理にこちらに引き寄せるのでもなく、相手に寄り添うためのポイントは?

 「1メートル先ではなく、10‌km先を一緒に見ましょう」と言うと思います。10‌km先でも、1000km先でもいいんですが。

——一般的な日本人の仕事の仕方とはかなり違いそうですよね?

 はい。私は中国に行った時も、ブラジルに行った時も、自分はここに生まれるべき人間だったんだなと思いました。

「世界と遊んでもらう。世界と遊んであげる。
自分が一番喜びに思うことはなにかを考える」

 

——コロナ禍で楽しく生きる、自分を生かしていくにはどうしたらよいでしょうか。苦しむ人に言葉をかけてあげるとしたら?

 自分が一番喜びに思うことはなにかを考える、ということだと思います。「喜び」という言葉が非常に大事で、よく「我慢」とみんな言いますよね。それを最初に言うのは私は卑怯だと思っていて、この状況下であっても「これが私の喜びです」と言えることはなにか。そのために、この美術館を作りました。みんないろいろ難しく考え過ぎだと思います。みんないつかは死にますから、なるべく喜びが多いほうがいいですよね。世界と遊んでもらう。世界と遊んであげる。机と遊んであげる。水と遊んであげる。すごく大事じゃないですか。それっていろいろな才がないとできませんよ。

——社会情勢が大きく変化しているのに、目標に向かって努力してという話が未だに多いなか、こういう話が聞けて嬉しいです。

 その人のスタイルなので、その人にとって努力や我慢が喜びだという方は、そうされたたらいいと思うんです。でも、我慢でやっているというのなら違うのかなと思います。喜びは、個々に違います。違う時間に、違う人から生まれてきていますので。

——喜びと向き合ったことがない人が多いと思うので、自分がなにが楽しいか、なににワクワクするかわからないのかもしれません。

 それって生きていて辛くないですか? どうすればいいでしょうね。でも、自分の趣味とかありますよね? 食べる時が幸せとか、寝てる時が幸せとか。

 自分のことは、自分では見えないものです。わかりにくい方は、自分の友人や、距離を置いて見てくださるセラピストさんなど、いろいろな方とたくさん話すことによって、自分自身のミラーになって見せていただくことです。そうするといろいろなことがわかってくる。一つのミラーだけでは足りないので、複数の方にミラーになっていただけば、いろいろなことがわかってくるんじゃないでしょうか。近所のお寺のお坊さんとか、昔はそういう人たちがいましたよね。自分の家族や兄弟は、よく知っていてよく見ているわけですから、そういう人と話をする。それが大事だと思います。

——柔軟性がおありですが、いつから身についたと思われますか?

 仕事の経験によると思います。経験が広がってくると予測可能性の範囲が広がっていきますよね。意外なことが起こっても、こういうふうに対応したらいいんじゃないかと。例えば、Aという記憶をAダッシュのケースに適応すればいいとわかる。その積み重ねが柔軟性につながっていくと思います。若い時は自分を確立しなきゃいけないので、どうしたって私が私がと意地になってしまう。でも、年を重ねてくると、それはどうでもよくなってきて、私を豊かにしてくれるのは周りなんだということがわかってくるので、そうするとベクトルが変わりますよね。この人を幸せにできるならいいか、ということが出てきたりする。そういうことではないでしょうか。

 NHKの『プロフェッショナル 仕事の流儀』に出演した時にも話しましたが、「自分がいるところをユートピアにする」ということ。ここが嫌だと文句を言う方が多いですが、それだったらそこにいるべきではない。いろいろな必然があって、本人の決断があって、そこにいらっしゃるわけなので。それなら、自分がそこにいることで周りをユートピアにする。そういうふうに思ったらいいんじゃないかと私は思うんです。自分の居場所をユートピアに変えていく。自分のいる場所の文句を言うのは、生産的ではないと思います。時間の無駄です。人生は短いので。

——左京区の魅力はどんなところにあると思いますか?

 左京区の魅力は、やっぱり東山沿いに、銀閣寺、南禅寺、霊鑑寺など、お寺がたくさんある並び、そして、東山から水が出るので、その水でお茶を点てたという流れがあって落ち着いた雰囲気ですよね。それと、やはり京都大学が醸し出す雰囲気がいいですよね。また、琵琶湖のほうから水が流れてくる南禅寺の水路閣など、水の入り口といった感じが風水的な感覚で好きなんです。今住んでいるところも、琵琶湖疎水があって後ろが山がなので、ちょうど水と山の間にあり風水的にも良い場所なので、そういう感じが好きです。スーパーマーケットやレストランなどいくつかお気に入りの店もあります。京都芸術大学などの美大があったり、平安神宮や府立図書館、岡崎公園があったりしますよね、そのあたりもいいなと思います。いわゆる文教地区ですよね。

——左京区は絵画や音楽などをしているアーティストが多いとも言われていますが……。

 それはあまり知りませんでした。私が知っている現代アートのアーティストは中京区や上京区にも住んでいたりしますので。

——最後に左京区の方へのメッセージをお願いします。

 ナレッジプロダクションや感性のプロダクションをするのに、左京区はいい場所だと思います。いろいろな意味でのプライドや好奇心を持ちつつ、自分らしく、それこそユニークな日々の喜びを持って、いろいろな形で交流したり、ご覧になったり、地域を活用されるといいのではないでしょうか。もう少し、夜まで空いている食べ物屋さんがあるといいですよね。

 

取材協力:金沢21世紀美術館 長谷川 祐子氏

レアンドロ・エルリッヒ《スイミング・プール》2004 金沢21世紀美術館蔵 撮影:渡邉修 提供:金沢21世紀美術館

撮影:石川幸史 提供:金沢21世紀美術館

撮影:渡邉修 提供:金沢21世紀美術館

キュレーター長谷川裕子氏の書籍紹介

『新しいエコロジーとアート──「まごつき期」としての人新世』
長谷川祐子 編
2022年 以文社
3,200円(税抜)

世界中の混沌から、時代を超え国を超え、なんらかのテーマを軸に、人とアートと空間、思考と感覚、有形と無形を繋げ、世界を覗くひとつの「窓」を出現させるキュレーターという仕事。彼らの視点を少し覗くことができます。アカデミックに芸術を捉えるとに懐疑的な人、環境破壊を愚痴るだけであきらめている人に読んでもらいたい一冊。難解と決めつけず長谷川氏の第1章を読み始めると引き込まれるはず。

長谷川祐子氏が企画した展覧会のお知らせ

イヴ・クライン 《人体測定(ANT66)》 1960年 水性メディウム、紙、 カンヴァス 157 × 311 cm いわき市立美術館蔵

『時を超えるイヴ・クラインの想像力—不確かさと非物質的なるもの』

2022年10月1日(土) 〜2023年3月5日(日)
10:00〜18:00(金・土曜日は20:00まで)
会場:金沢21世紀美術館 展示室5〜12、14、光庭2

そのほかの展覧会情報はこちら
金沢21世紀美術館webサイト
https://www.kanazawa21.jp

左京変人図鑑 VOL.2

このインタビュー記事は左京変人図鑑Vol.2に掲載したものを転載しています。

世界中のアートを繋いできた変人

左京区に関わる素敵な変人インタビュー
金沢21世紀美術館 館長
長谷川 祐子氏

2022年10月1日発行

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