左京区に関わる素敵な変人インタビュー

日本人の心を開いてきた変人

京都精華大学 前学長・博士(工学)ウスビ サコ

プロフィール
1966年マリ共和国生まれ。北京語言大学、南京東南大学等を経て、京都大学大学院工学研究科建築学専攻博士課程修了。博士(工学)。研究対象は「居住空間」「京都の町家再生」「コミュニティ再生」「西アフリカの世界文化遺産の保存・改修」など。

日本初のアフリカ出身の学長となったウスビ・サコ氏。
京都精華大学の学長任期を終え
人間環境デザインプログラム教授として
同大学に残り、学生たちに慕われています。
「変人」の魅力とは、自分らしさ。
「左京変人図鑑」創刊号では、サコさんに
京都での学生時代のエピソードについて、
また、没個性となりがちな日本人について伺いました。

——京都大学大学院に入ったのが京都在住のきっかけだそうですね

 そうです。大学院に入る前に研究生として京都に来ました。研究生は、授業の義務もなく、居場所がなかなか作りにくいんです。ゼミのある日は大学、それ以外は、自分の研究の準備をしたり、誘われている研究を手伝ったり、セミナーや講演会に行くという感じでした。修学院にある京都大学国際交流会館という寮に住んでいました。目の前の「SPEAK EASY」というカフェに、ブレックファストというコーヒー付きのメニューがあるんです。朝ごはんという名前なのに9〜17時までで、コーヒーがおかわり自由。日本ではめずらしいですよね。だれもが自由にそこにいられるような空間で、カフェを好きになったのはここがきっかけです。朝は一旦、SPEAK EASYに行って、考えてから動くという毎日でした。

 一年後、寮を出て、そこから日本社会に対する見方が変わっていきました。季節的にも転居先が見つからず、敷金礼金なんて貯めていません。結局、大学で紹介してもらって、北区の着物の帯の絵を描いている方のアトリエの1階を貸してもらえることになりました。そこで私はパーティーを始めました。すると、大家の佐々木さんが「僕の自宅でやったら」と言ってくれたので、毎週、10〜20人ぐらいを佐々木さんちに連れていくということを始めたんです(笑)。

——日本人ってパーティーに慣れていない気がしますが。

 その説は疑問です。みんな普通に来るし、開催しないと「今日しないの?」と訊きにくる。きっと、日本人はパーティーが好きなんです。不思議なのが、自分の家に招いてパーティーをしないのに、パーティーに呼べば来る。参加していたメンバーは今では京大の教授など立派になっています(笑)。

——パーティーをしたのは、マリの中庭文の影響もありますか?

 中庭文化でしょうね。もてなすこと自体に抵抗がない。私にとっては、食事でどこかの店に行くほうがリラックスできない。自分の家だと好きな料理を作れるし、時間の制限もない。だからみんなも長居するのかもしれませんね。

 一年半後に、左京区に戻ってきました。2DKのマンションでしたが、「みんな今日ごはんどうする?」「サコの家に行こうや」と、お鍋などの材料を買って持ち寄ってくるんです。もう結婚してたんですが、妻が会社勤めから帰ると、大勢でご飯を食べ始めていて、みんなに「食べる?」と訊かれていました。人数が多いときには鴨川に出ていました。鴨川は庭のようなものです(笑)。

——中国、日本とアジアで暮らしてきて「自分らしく生きる」を意識したきっかけはありましたか?

 最初は日本語をきちんと勉強して、日本文化を学ぼうとしました。日本化を図ろうとしたんですね。留学生は同化を試みるものなんです。でも、同化してしまうと本当の自分が消えて、日本社会になにも提供することができない。役に立つには、私が私であることが重要で、そこからお互いに学び合えるはずだと考えました。私じゃなければ、パーティーのような機会を提供できない、これも些細なコントリビューション(貢献)ではないかと考えました。研究室を離れてパーティしたら、みんな親しく話せる。そして、研究室に戻ったら前よりもっと仲良くなれる。それで、一生懸命コミュニケーションの場を提供してきました。

 パーティーに来た人にはマリの写真を見せたり、マリでなにが当たり前かを話したりしました。おもしろかったのが、私が結婚することを先生に報告したとき「間に合うか?」と訊かれたんですよ。「なにが間に合うの?」と答えたら、「精算、間に合うか?」「サコさんの家に女がいっぱいいると聞いている」と先生が言う。研究生仲間たちは、サコは出逢いが狙いでパーティーをしていると思っていたんですね。きっと、なにか「目的」が欲しいんでしょうね。後から気づいたんですが、日本人は「違う属性」の人たちで集まることがあまりないんですよね。私は、バイト先の英会話教室、交流会、サッカーなどで出会った、いろいろな人を誘っていたので、それが不思議だったみたいです。

——日本人は属性がわかっていないと不安なんでしょうね。

 そう。だから「サコが狙ってる女」ということになる(笑)。

——日本人は自分らしく生きるのは苦手と感じますか?

 自分らしく生きることは、本来、難しいことではないはずです。でも、日本では自分のエゴを出してはいけない、人のエゴを知っちゃいけないと抑制する。本当は知りたいくせに(笑)。結局、「周囲に期待されている自分」しか出さない。期待されるキャラクターを演じ続けるのが、日本社会での生き方なんでしょうね。本来、最初から「私はこんな感じ」と自分を出して、それを理解してもらったら生きやすい。それで、私は自分を出していきました。だから、みんな私のパーティーの「場」が好きだったんでしょうね。

 マリでも集団によって期待される役割が異なる。例えば、民族の中での立ち位置、家族の中での立場などいろいろあります。ただ、自分というものを持っているからこそ、そういった異なる立場に対応できます。マルチフレームに対応するには、自分を認識できていなければならない。昔は「通過儀礼」があり、10代で成人として認識させられ「自分とはなにか」と考え、責任を持って行動するようになっていった。日本では、だれも大人としての自覚を意識させようとしない。大人の自分を求められないなかで「自分」を模索するのは難しい。自分の立ち位置がわからないのに「あなたの生きたいように生きたらいいよ」と言われても、ガイドラインがないし、自分も基準を作れない。だから苦しいのではないでしょうか。

 子どもたちは、親に自分たちの目線で話してほしいと思っている。でも、大人は成功体験を話す。いっぱい失敗をしてきたからこそ、今の自分がいるのに、それを表に出さない。それを見て若者が学ぶと思い込んでいるけれど、美化されたものには、学ぶところがないんです。若い人たちは就活での苦い経験や悩みを話したい。でも、「就職活動がうまくいっている自分」しか、大人に求められていない気がする。だから、話せない。

——私にも20代の娘がいますが失敗を恐れる世代と感じます。失敗談を聞く経験が少ないかもしれません。

 そうなんです。あきらかに彼らの時代と、我々の時代は違います。彼らは失敗した後の立ち直り方とか、失敗した後の物事の運び方などのツールを持っていない。成功でしか自分が認められない、受け入れられないと思い込んでいる。でも、失敗した私も学者なので本当は大丈夫なんです(笑)。

 大人のアドバイスって、子どもたちを活かす後押しではなく、抑えようとする人が多い。まさに管理社会。近代化とはこのこと。ルールや規定を作って、行動をいかにコントロールするか。私たちの時代には、管理があっても管理は表に出ていなかった。でも、彼らは管理が先に見えてしまっていて、失敗してはいけないと思うし、チャレンジ精神がなくなる。驚くのが、これ、世界共通なんです。

——どんな原因が考えられますか?

 デジタルコミュニケーションの手段が豊富になったことが原因でしょうね。お互いの事例が見えてしまう。SNSなど海外のことも他人事ではない。だから、ウクライナの問題でも他人事だとは思っていなくて、自分たちでも考えたりする。ある意味、以前より世界が繋がっているし、不安も共有する裾野が広がった。昔は、日本が安全なら安全だと言いきれた。でも、今は、世界が安全かどうかなんです。

——インターネットや海外旅行で、コミュニケーションが変化した。

 そう、コミュニケーションが変わった。同時代に同時間帯に、いろいろなことが起こることがわかってきたということです。

——管理については、日本の場合、世界大戦時の軍事教育の名残だという説もありますが……。

 私は、それは直接的な原因ではないと思います。軍事教育の影響がさほどない国でも不安が大きくなっていますので。

 われわれの生活に一番近いのが、経済ですよね。第二次世界大戦後、世界は経済発展中心の生活に変わった。私たちは知らない間に、お金にコントロールされているのです。時間、条件、お金など、思考がどんどん経済にシフトしてしまった。そうすると自分も「管理」に参画しやすくなり、すべての人が管理者になる。消費者になるということは、そういうことなんです。

 そこで人は経済という次元で同じような共通項を持ち、だんだん画一化していく。資本主義諸国が、「社会主義はダメ、資本主義は経済という条件が満たされれば幸せになる」と伝え、人々はそれを鵜呑みにする。近代化とは、いかに合理的、機能的にするか。建築もそうですが、同じ基準で作ればいい。世界がそれを求めてきたんです。資本主義の発展とともに、より一元化が進んだ。マーケットが一元化し切ったところで、やっと「不安」が本当に見えてきた。われわれはこのまま進んでいいのか、と。結局、オルタナティブ(代案・新しい手法)がないんです。

 日本のフレーム化教育も、まったく同じです。学校が一つの枠組みで子どもを育てている。学習指導要領という良いはずのものが、どんどん学校を管理し、子どもを管理し、先生を管理し、社会を管理するものになってしまう。そうなると、学習指導要領が鬼に見えてしまいます(笑)。われわれの大学もそうです。文科省が求める評価の枠組みに合わない大学には補助金が出ない。それも経済の論理であり、管理のシステムです。

 ところが物事が溢れ、限界に来ていて、これまでの神話が壊れつつある。いまの若い人たちは大人が嘘をついていたことに気づいている。経済が満たされても幸せにはなれない。じゃ、何が大事なのか。自分の生まれ育ってきた地域、家族や身近な人との関係性に、やっと振り向いてきた。

——なるほど。「自分らしさ」は、地元や家族などいわゆる「」に大きく影響しているということなんでしょうか。

 そうです。再び、地縁が見直されているのではないでしょうか。昔は、地縁、イコール「干渉」と思われていました。でも、地縁や血縁など、本来の共同体の基本形態こそが大切なんです。とはいえ、昔のように戻ることはありません。地縁・血縁の人と関わるけれど、自分の個人のスペースは保ちながら、みんなの存在は感じていたいという感じです。それで、いまは「響き合う」という言葉が使われています。共感よりも響き合うことが重要になってきた。レゾナンスと言われていますが、「響き合う社会」になっていくのではないでしょうか。みなさん自由を語りますが、みんなが響き合うなかで、自分が何者かを知りつつ、自分を受け入れ他人を受け入れていく、そういった物事を選択する可能性のことを自由と言うのだと思います。奔放に好き勝手することが自由ではないんです。

——「ほぼ単一民族」という日本人の認識と関係していると思いますが、個々人で考えは違うはずなのに「同じ日本人だからわかるはず」と思う人が多いように思います。日本人が「自分」のことをわからない理由はなんでしょう?

 「単一民族」というのは、ご存知のように幻の言葉なんです。ないのにあると思い込んでいる。簡単にいうと、日本人は「日本人」というものを作り上げている。個々人が全然違うのに、単一民族だからとまとめるのは疑問です。

 これは本当に教育の問題だと思います。話は「管理」に戻りますが、同じ「日本人」にしたほうが、管理はしやすくなる。日本の教育は「日本人」を作るシステム。テンプレート化された教育制度によって、日本人が作られています。

 例えば、保育園で連絡ノートに書く「昨日食べたもの」は、味噌汁とご飯など、同じものを求められる。学校に入ったら入ったで、みんな同じことをして、同じもの持つ。学校という場によって、画一化が加速する。就学率が高いことも関係あるでしょうね。マリのように識字率や就学率が低いところは、学校の罠にははまらない。でも、日本ではみんな学校に通うので、学校が作る人間性に従って、みんなの自我が作られていく。私たちは大学で「個性」について話していますが、本当は大学では遅い。小さいころから、子どもの選択肢を尊重して、子どもの行動をそのまま支えていけば、もっと伸びやかになるはずです。でも、学年が上がるほど揉まれてタブーが増え、どんどんあきらめが増えてしまう。それが問題です。

 「日本人」としてまとめて管理教育すると、そのように育ってきた人たちには政策が通じやすい。国がわかりやすく早く政治をしたいし、それが通じる国民を育てていきたい。国民の多様性が大事だと言いながら、それを求めていないんでしょうね(笑)。国からすると多様性は困るんです。それこそ、60年代のように国民が政府に反発して運動を起こしたことには懲りている。二度とそういう国民を作らない。賢くて反対するような国民はダメなんでしょうね。

——画一化で抑圧されて育った私たちは大人になってから本当にやりたかった絵画や音楽などを始めました。そういう人へのメッセージをいただけますか?

 私たち、特に、日本では多くの人が一つのことを集中してやり遂げないと成功しないという考えを持っていて、同時進行に不安を感じるし怖いんですよね。でも、私はそうではないと思っています。サブでやっていることが一番身になったり、メインの仕事の支えになったりします。私は日本の企業のリーダー向けのセミナーで、よくこの話をしますが、日本のリーダー、特に、部長クラスの人は心に余裕がない。趣味をする時間もなく、自分の仕事以外のことができない。でも、仕事から離れてほかのことをすることで人生が見えてきたり、趣味をすることで新たな能力や感覚が開いていくものです。それによってメインの仕事も別の角度から見ることができたり、さらにクリエイティブになったりするんです。

 芸術は、なにもないゼロの状態から作り上げていくもの。このアート思考は、すごく大切です。アート思考によっていろいろな人と関わりを持ち、行動すると、さまざまな取り組みへの姿勢がよくなり心のやすらぎになる。芸術をするとき、心の奥深いところまで入っていくと、幸せを感じられる。自分と向き合えるのです。

 左京区には絵を描いたり、音楽をしていたりしている人が本当に多い。アート思考の人がたくさんいます。そういう左京区が持っているポテンシャルには、現代社会で生きるための条件が揃っていると思います。そこを我々は生かしていかなければならない。京都のバイアスもないですしね(笑)。

素敵な変人が通ったハンバーガーショップ「SPEAK EASY」

1987年から京都で愛されるハンバーガーショップ 「SPEAK EASY」。「ブレックファスト」は最初は11時までだったのが少しずつ延長して17時に。人気の「京都バーガー」には、豆腐の白和えやしば漬けが入っている
https://www.speakeasy.gr.jp/

日本人が触れない京都に突っ込んだ変な一冊

『アフリカ人学長、京都修行中』
ウスビ・サコ 著
2021年 文藝春秋 出版
1,400円(税抜)

京都で暮らして30年。空間人類学の視点からの分析はもちろん、サコさんが感じる疑問やツッコミから、「いけず」と言われる京都の客観的視点を楽しめます。読み終えると、なぜか京都人に対して尊敬の念が生まれるのは、京都に代わって、京都の本質や魅力が解説されているからかもしれません。「一見さんお断り」はサービス精神の裏返しなど、解釈の端々にサコさんの愛を感じる一冊です。

左京変人図鑑 Vol.1

このインタビュー記事は左京変人図鑑Vol.1に掲載したものを転載しています。

日本人の心を開いてきた変人

左京区に関わる素敵な変人インタビュー
京都精華大学前学長 博士(工学)
ウスビ サコ氏

2022年8月10日発行 創刊号

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